ヨブ記4章

※ヨブ記の解法について

・ヨブ記は、一つひとつの主題に対して、多くの例えを駆使して語られている。それは、主題の一つひとつを理解するためには有益であるが、文脈が見えづらくなる。文脈がわからないと、個々の文の意味が分かりづらくなる。あるいは、正確に理解できなくなる。

 解くための手順

・文脈を理解すること。

・文脈にそって、個々の文を理解する。

・ただし、文脈の理解も個々の文の理解も相互に依存しているので、分かるところから解くようにし、文脈→個々の文の理解を繰り返す。

・ヨブ記は、文脈から読み解くための訓練の書である。箴言は、個々の文ごとの比喩と謎を解く訓練の書である。詩篇は、その中間にある。エステル記は、大規模構成の比喩。歴史書でありながら、全体が比喩で構成されている。雅歌は、完全なる比喩。伝道者の書は、伝道に特化した比喩の書。

4:1 すると、テマン人エリファズが話し始めた。

 エリファズの言葉。

4:2 もし、人があなたにことばを投げかけたら、あなたはそれに耐えられるか。しかし、だれが語らないでいられるだろう。

 エリファズは、今ヨブに語りかけて、苦悩の中でそれに耐えられるか案じつつも、語りかけないではいられないとして語りかけます。語る内容が大切なことであることをまず告げました。

 彼は、友としてヨブのことを愛しており、ヨブの幸いのためにこのことを語ろうとしています。ただし、彼は、ヨブの清さについての理解が不十分でした。彼の言葉は正しいものでしたが、ヨブには当てはまらないものでした。

ヨブ記

6:24 私に教えよ。そうすれば、私は黙ろう。私がどのように迷い出たのか、私に悟らせよ。

6:25 真っ直ぐなことばは、なんと痛いことか。あなたがたは自分で何を責め立てているのか。

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 エリファズの言葉は真っ直ぐで、正しいものでした。しかし、ヨブには、彼が問題としてるような罪はなかったのです。

4:3 見よ。あなたは多くの人を訓戒し、弱った手を力づけてきた。

4:4 あなたのことばは、つまずいた者を起こし、くずおれる膝をしっかりさせてきた。

4:5 しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。これがあなたに至ると、あなたはおじ惑う。

 ヨブは、幸いな働きをしてきた人です。多くの人を訓戒し、励ましてきたのです。弱った手を力づけてきました。そして、彼の訓戒の言葉は、躓いた者を起こしました。それは、くずおれた膝とも表現され、立つことも、歩くこともできない状態の人のことです。非常に弱り果てた状態です。それをしっかり立たせました。

 しかし、ヨブ自信に苦難が臨んだ時、ヨブは、耐えられず、おじ惑っていると指摘しました。彼は、そのような躓いた人の一人のようになったのですが、彼は、ヨブが立つことができないと思ったのです。

4:6 あなたの敬虔さは、あなたの確信ではないか。あなたの誠実さは、あなたの望みではないか。

4:7 さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。

 あなたは、敬虔の道を知っており、誠実に歩んできたのだから、潔白な者として歩みなさいと諭しています。

 潔白な者、真っ直ぐな者は、滅びず絶たれないことを思い出すように語りました。

4:8 私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。

 不法を行い、害毒をもたらす者が滅びを刈り取るのです。耕作、種蒔きの結果としての刈り取りという比喩になっています。

4:9 彼らは神の息吹によって滅び、御怒りの息によって消え失せる。

 彼らは、滅び去りますが、それは、神の息によります。あっけなく滅び失せるのです。

 

4:10 獅子のうなり声、たける獅子の声がする。しかし、若獅子の牙は砕かれる。

 悪者は、獅子が唸るようです。しかし、力強い若獅子であっても、その牙は砕かれるのです。

 

4:11 雄獅子は獲物がなくて滅び、雌獅子の子らは散っていく。

 雄獅子のように力強くても、獲物を食らうことができず、滅びるのです。また、雌獅子の子らは、養われることなく散っていくのです。

 以下には、エリファズが受けた啓示について示しています。

4:12 あることばが私に忍び寄り、そのささやきを私の耳がとらえた。

 彼には、一つの言葉が示されました。

 

4:13 夜の幻で思いが乱れ、深い眠りが人々を襲うとき、

4:14 おののきと震えが私に降りかかり、私の骨々の多くがわなないた。

 それは、夜の幻として示されたものです。それを聞いたとき、おののきと震えが彼を襲いました。それは、恐れ多いものでした。彼は、啓示を受けたのです。

 骨々もわななきました。骨は、その人の持つ教えです。彼自身の考えも、恐れおののいたのです。それは、驚嘆すべきものでした。

4:15 ある霊が顔の上を通り過ぎ、私は身の毛がよだった。

 霊は、教えに関係しています。教えをもたらすものとして霊なのです。彼の身の毛がよだったのは、霊の存在を恐れたのではなく、その教えに対する恐れの表現です。

4:16 それは立ち止まったが、私はその顔だちを見分けられなかった。しかし、その姿は私の目の前にあった。静寂。そして私は次のような声を聞いた。

 幻の中で示された霊は、姿を持っていました。静寂と記し、その声だけが聞こえることを表しています。そして、はっきりと聞き取ることができるように告げられたのです。

4:17 「人は神の前に正しくあり得ようか。その造り主の前にきよくあり得ようか。

 告げられた内容は、人は、神の前には正しくあり得ないことです。また、清くあり得ないのです。

4:18 見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、御使いたちのうちにさえ、誤りを認められる。

 神は、御自分のしもべさえ信頼しないのだと。それは、御使いであっても、そこには誤りがあるからで、完全に信頼することはできないというものです。

 彼の判断では、人はそのようなものです。彼は、自分のことをそのように考えていたでしょう。また、彼の状態は、そのようなものです。しかし、ヨブに関しては、そうではありませんでした。

 人は、自分の霊的水準に従って物事を判断します。エリファズには、ヨブのことは理解でないのです。

4:19 まして、ちりに土台を据えた泥の家に住む者はなおさらのこと。彼らはシミよりもたやすく押しつぶされ、

 人は、塵に土台を据えた泥の家に住んでいます。ですからなおさら清くありえないのであり、彼らはシミが潰されるようにたやすく潰されると。

4:20 朝から夕方まで打ち砕かれ、永久に滅ぼされて、だれも顧みない。

 しかも、朝から夕方まで打ち砕かれ、徹底的に打ち砕かれるのです。しかも、永久に滅ぼされるのです。彼が滅ぼされたとしても誰も顧みません。

4:21 彼らの天幕の綱は確かに取り去られる。彼らは知恵がないために死ぬ。」

 天幕の綱は、家を支えます。しかし、その綱が取り去られ、家は滅びるのです。彼らは、死ぬのです。家は、人の比喩です。永遠の報いについても表しています。それは、木、草、藁で建てられた家です。火に耐えないのです。その意味で死なのです。彼らに知恵がないためです。知恵は、御言葉を受け入れる分別であり、その実現のために従う分別です。それがないので、死ぬのです。また、報いを失うのです。